人の心は、大きく3つに分けられる。

それが、自分自身の心だと感じている部分の「個」、それこそが世界だと感じている「基界」、そして想像とか空想、発想などと称される部分の「想界」。その3つすべてが、その人個人の心である。
実際の世界は、心の「基界」とは一致しない。「個」というフィルターを通して、世界だと認識したものが「基界」である。
「想界」は、「個」が「基界」にあるものを利用して作られたものだ。想いは生まれては離れ、消えていくのが常だが、その想いが強く、また繰り返し想うとき、自分自身を離れず、また世界の一部のように感じることがある。
つまり、「想界」は、おおむね「基界」の外側に位置するが、一部は「基界」の中に存在するようになる。
画像を見て、お気づきだろうか。あなた自身は、あなたの世界のなかでは『ひとりぼっち』なのだということを。
すべての人が、自分自身の世界にただ一人存在している。親も子もきょうだいも友人も恋人も、家も学校も職場も、木も草も鳥も犬も猫も、そこには実在しない。世界の中で、たくさんのひとりぼっちが関わりあって生きている。共通しているのは、同じ世界に生きているということだけだ。
私が考える人の心というものの考え方は、すべては『ひとりぼっちであること』からスタートする。これから、人との関わりについて、自分自身について、考えていこうとおもう。

それが、自分自身の心だと感じている部分の「個」、それこそが世界だと感じている「基界」、そして想像とか空想、発想などと称される部分の「想界」。その3つすべてが、その人個人の心である。
実際の世界は、心の「基界」とは一致しない。「個」というフィルターを通して、世界だと認識したものが「基界」である。
「想界」は、「個」が「基界」にあるものを利用して作られたものだ。想いは生まれては離れ、消えていくのが常だが、その想いが強く、また繰り返し想うとき、自分自身を離れず、また世界の一部のように感じることがある。
つまり、「想界」は、おおむね「基界」の外側に位置するが、一部は「基界」の中に存在するようになる。
画像を見て、お気づきだろうか。あなた自身は、あなたの世界のなかでは『ひとりぼっち』なのだということを。
すべての人が、自分自身の世界にただ一人存在している。親も子もきょうだいも友人も恋人も、家も学校も職場も、木も草も鳥も犬も猫も、そこには実在しない。世界の中で、たくさんのひとりぼっちが関わりあって生きている。共通しているのは、同じ世界に生きているということだけだ。
私が考える人の心というものの考え方は、すべては『ひとりぼっちであること』からスタートする。これから、人との関わりについて、自分自身について、考えていこうとおもう。
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